赤ではなく、青

2週間ぐらい忘れてました。

まあ色々あったんですけど、7月は映画館に全く行けないという機会に恵まれなさすぎたので8月以降はもっと見たいな。色々楽しみにしているのがあるんだよ

それはそうと、8月8日の『ワンダーウーマン』のジャパンプレミア(試写会ではない)に応募したら当たったので行ってきました。ネット上で色々書かれていると思うので、というか文句をここで書いても仕方ないので出来るだけ書かないようにしたいです。何せ映画を見るようになって初めてのレッドカーペットイベントだったもので色々忘れる(サインしてもらうものとか油性ペンとか、あったほうが良かった)などありました。実際に有名な方にお会い出来たことは良かったです。ただ、メディア対応で2、30分以上立たされたままというのはどうなのかと思ったりはしたんですけどね。それをイベント終了後にしても良いのではないかと。その関係でジェンキンス監督やローヴェンさんを待たせたのは、何だかなあ。待っている間ものすごく蒸し暑くて倒れかけそうになったし、実際に倒れた人もいるんじゃないかな。まあ、その後の舞台の様子が並んでいる側から全く見えないなどあっんですけれどね。モニターか何かあってもいいだろう、と。せっかく参加させて頂けたのに、何も見えないのは悲しいものがあるよ!その前日にスパイダーマンのレッドカーペットイベントがあったから尚更な感じはあります。

もう少し上手くやる方法もあったのでは、と思ってしまう、少し残念なイベントでした。とはいえ、やっぱり実際に会えるとなるとものすごく興奮しますね。ジェンキンス監督もローヴェンさんもその他の方も素敵でした。幸せでした。ワンダーウーマンは観に行きます。他のレッドカーペットにも都合さえ合えば参加したいと思うオタクでした。

 

そのジャンルにのめり込んでいく様子を「沼に嵌まる」ということがある。たいていの場合、その沼は底なし沼だ。深く嵌まっていけば嵌まるほどそこから抜け出すと言うことは不可能だろう。自発的に沼に入ることもあれば、うっかり足を滑らせて、という場合もある。人によって様々だ。そして、その沼から見る景色は、入る前の景色とは全く違う物になるだろう。「これを知らないなんて人生を半分以上損してる」なんて言葉はその沼の住民から発せられる物だ。もしその言葉を聞いたとしたら、私はそれを見ようとするだろうか?わからない。気分次第としか言いようがない。ある日はそれをきっかけにするかもしれないし、またある日は無視してしまうかもしれない。たまに、想い出して検索するかもしれない。人がどうかは知らないが、私にはよくあることだ。そして、たまに似たようなことをしてしまう。好きなことは人にも好きになってもらいたいのだ。一緒に沼に入ろうと誘いかけながら、引きずり込んでやるという言葉が隠れている。沼という物はやっかいな物で、それに慣れてしまったら他の人も同じだと考えてしまいがちなのだ。

 

という、どうでもいいような文を書いてしまった理由はうっかりアメコミに手を出してしまったからです。沼でした。このままでは色んな物に突っ込んで行きかねないね。

スターダスト

David Bowie was wanted for Blade Runner 2049 | Movies | celebretainment.com

そういえばガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol2でも似たような話を聞いたな、と思ったら

Guardians Of The Galaxy 2 Was Trying To Make A David Bowie Cameo Happen

やっぱりありました。

確かトレーラーで「Suffragette City」が使われていたような

カメオ出演、ということはもしかしたらデビッド・ハッセルホフの立ち位置だったのかもしれないなあ…少し悲しい

デトックス音楽

カーペンターズの曲を聴くと癒やされる、心が落ち着く。

久しぶりに聞きながらぼんやり考えてた

何というか、カレンの歌声が好きなんだよね、高すぎず低すぎず、耳が心地よいというか

たまにスピッツとともに無性に聞きたくなるんです

あと、ノラ・ジョーンズも好きです ブレイキングバッドでも歌ってるやつがあったような

偽りなき者 

些細な嘘から人は疑心暗鬼になる。時にはその疑いを向けられている人の言い分は全く価値のないものにされる。自分はやっていない。あの子どもが嘘をついたんだ。それが真実だとしても、その叫びは聞こえないものとされてしまう。それならば、どうやったら嘘を晴らすことが出来るのだろう。そして、どうしたら自分の言いたいことを聞いてもらえるのだろう。

ある日、少女はちょっとしたきっかけで生まれた衝動で嘘をついた。それは証拠も何もないが、ひとりの男を破滅に向かわせるには十分すぎた。

「子どもは嘘をつかない」という共通観念はルーカスを苦しめる原因となる。そのどうしようもない嘘に翻弄された多くの人たちによって、言い分を聞かれないでその"事実"によって迫害されていく主人公ルーカスは、その狭いコミュニティから抜け出すことなく(抜け出すことが出来ないのだろう)、根も葉もない"真実"と戦っていくしかない。彼も、彼の息子もその"真実"に疲弊していく。大勢がそれを本当だと信じたら、少数派、まして加害者の言葉なんて1ミリたりとも聞き入れられない。明らかに彼を有罪にしたいかのように質問し、「偽りなき者」であるルーカスは自らの無実を証明するために暴力をとらず抵抗しようとするが、そんな余裕も彼に降りかかる罵詈雑言や暴力、そして彼が置かれた状況によってどんどんすり減っていく。理解してくれる人がいても、それで劣勢な状況を覆すことが出来ない。誰もが彼を変質者だと思う、そんな身体的にも精神的にも苦痛を与えられる。それに彼自身も深く傷ついていく。

何より苦しかったのが、彼の息子、そして全く関係ないものまでもがその"疑い"によって暴力を受けることだ。カエルの子はカエルじゃないけれども、そのことで自身の子どもまでもが傷つく。彼は父親がそんなことをするような人間じゃないと信じて、またわかっているからこそ直接行動に出るも、受けたのはパンチだった。そして、そんな彼らはもっとむごい現実を突きつけられる。どうして、と言うこともできない。だが、彼らにも支えてくれる人たちがいる、無条件に信じてくれる人たちの存在があると言うことが何よりもの救いだった。

彼に対する疑いが晴れたとしても、その間ルーカスの目に映った人の醜い部分、疑惑に対してそのまま疑いもせず(彼が何を言おうとも取り合わなかった)暴言や暴行をしてもいい、されてもいい人間だと決めつける残酷性、そして心に負った傷は消えることはない。普段は見えないだけで、そういった「犯罪を犯したものに対してはどんなことをしても許される」といった感覚はこの映画に映された人たち、そしてそれを見ている私たちにもあるのだ。それが有罪であろうが無罪であろうが、どれほど残酷か。そしてそれがどんなに人間らしいのか。

疑わないことの恐ろしさ。そして一度疑われた者はもうその疑いは晴れることがない。ずっと心を縛り付け、深い闇を落とすのだろう。例えそれが嘘だとしても。

情報の氾濫2017

サンディエゴ・コミコンの時間ですよ

コミコンの存在を今まで知らなかった(コミケと同じようなもんだと思ってた)ので、圧倒的な情報に結構驚いてるよ…

映画、ドラマまたアメコミに関しては無知に近いのでどれほどすごいことなのかあまり実感できていないんですけど、とりあえずラグナロクが楽しみだなあ、前2作見てないので、これを機会に見たいもんです

 

それとフューチャーアベンジャーズのエンディングテーマが結構頭に残るなあ。印象的すぎる

 

DVD問題

別に4Kで再生できる環境がある訳でもないんですがガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol.2は4Kのディスクが欲しいんですよ

日本では販売なしだとな…

あんなにパッケージが素晴らしいというのに、何故なんだ!?3年ぐらい待ったら出てくる?いやその頃にはもっと別の媒体が出てくるかもしれないし、複雑だ

あとあまり関係ないんですけどローガンの日本版のDVDっていつ販売だったっけ?フォックス何もアナウンスしないし

もしかして:ガーディアンズよりずっと後