不器用な親子のはなし

自分にとっての父親とは、家族とは何だろうか。彼らに向けられる愛とは、受ける愛とはどのようなものだろうか。そういった「家族」を描くものはとても多い。血がつながっているから家族なのだ、と言えない、言い切れなくなってしまった時代だからこそ、内面的で繊細な問題は取り上げられる。人との繋がりがネットと言う平野に広がりすぎたから、より強い繋がり、絆を誰かに求めてしまう。現実だけではなく、架空の世界でも。

ピーター・クイルは生まれた時から父親という存在が身近にいなかった。地球にいた頃彼を育てたのは母親と祖父、そして周りの人々だ。彼は自分と同い年の子どもたちが、父親とキャッチボールをしている姿を見てうらやましく思っていた。彼は母親に自分の父親が宇宙人だと聞かされて育った。デビッド・ハッセルホフが自分の父で、彼は撮影やツアーで忙しいから帰って来れないのだと言いふらす。彼にとって、子どものピーター・クイルにとって父親とは「キャッチボール」で、まぶしい存在だったのだろう。父親がいない、他の子とは違うことを負い目に感じ、それを隠すかのように嘘をつく。父親は自分には手の届かない存在なのだと思ってしまう。

訪れた母の死から逃げた少年は、愛を知らない男に攫われてしまう。

ヨンドゥが自分と同じだと語るロケットへの話し方はまるで自分の過去と対峙するかのようだ。自分にとって悪夢のような過去。親に売られて奴隷として20年も使われてきた過去は消すことが出来ない。一度人を殺してしまったら元には戻れない。ロケットには自分の運命から逃げて欲しくなかったのだろう。自分を受け入れてくれる”家族”を拒絶して欲しくなかったのだろう。それは自分がかつて通った道で、後悔しか残っていないから。ヨンドゥがスタカーに向ける目は、尊敬と恐怖の目だ。彼にとって、スタカーは彼を地獄から救い出してくれた英雄で、尊敬するに値する父親なのだ。彼を裏切ってしまった今でもなお。しかし、掟を破るな、という唯一の条件を破ってしまった。彼はそのような大切にされるという環境を拒絶したかった。無償で向けられる愛を受け入れることが出来なかった、信じることが出来なかった。それは若さ故、自分の育った環境故かもしれない。だが、そのことをずっと後悔し続けている。自分の唯一の居場所、家族を裏切り、信用を損ねてしまった。自分が求めていた物にも関わらず。その後悔や自分が知らないうちにしてしまったことへの責任を、彼は仕事の"商品"であるクイル少年を育てることで償おうとする。

クイルは1作目の終わりでヨンドゥが唯一の家族だったという。彼は憎まれ口を叩いていたのに。ヨンドゥもまた、クイルを殺すと言っておきながら彼を許してしまう。その甘さは父親の甘さ、保護者の甘さだ。彼らはお互いを親子と認めているのに、それを認めない。このときのクイルにとって、父親はキャッチボールをしてくれる、血の繋がった人だからだ。

エゴの惑星で、クイルは生物学的な父、エゴとキャッチボールをする。『それしか思い浮かばなかった』というが、父親とやりたかったこと、父親としてして欲しかったことがキャッチボールなのだ。あれだけ憧れて、羨んでいたことをすることで、子どもだった頃の彼の願いは叶えられる。だけど、大人となった今、父親としてして欲しいことではないのだ。それらはもう既に与えられたから、望まないのだろう。

別行動をしてきたヨンドゥは、クイルがピンチに陥った時ヒーローのように助けに来る。ずっとエゴの星にいたクイルにとって彼の訪問は予想外で驚いてしまう。またヨンドゥの身に降りかかった災難を知る由もない。だけどそんな危機的状況でも言い争いができる。ヨンドゥが来たなら大丈夫だと思ったのだろう。親は子どもを助けるものだから。

この映画はヨンドゥが出てきたあたりから死の匂いを漂わせる。寂しい雪景色はクリフハンガーのオマージュ的だと思うけれども、暖かさの終わり、何かの終焉を予期させる。彼が自らの行いで仲間に反逆されるのも、彼が過去に裏切った報いかもしれない。クイルに対する甘やかしが親の愛情に似たものだとわからない彼らは、それをえこひいきと捉えてしまったのだけど。そういった傷つく姿、死を見せることで何が終わろうとしていると強く感じさせるのだ。彼が自らの死をもってあがなおうとするのも。

多くの命を奪い、愛するものを遠ざけることしか出来なかった不器用な男は、最期に命を引換にして、未来に生きる息子を助ける。その姿はあまりにも虚しくて切ない。彼らが自分が父親だと言おうとも、自慢の息子だと言おうとも、また自分にとってのデヴィッド・ハッセルホフだと言おうとも、言葉よりも、彼が今際に見せる悲しみと愛情に満ちた表情や、そっと頬に触れる仕草が父親たらしめるのだと感じる。それが父親であり、父の愛なのだ。guardianには保護者という意味もある。ラヴェジャーズとして受け入れられ、ガーディアンズの仲間にもなったヨンドゥは、最期にしてピーター・クイルのguardian(保護者)として受け入れられた。それこそが彼への最も素晴らしい祝福だろう、と思うと涙が止まらなかった。