LOGAN/ローガン

この記事を書いた時点(2017/6/24)で私はX-MENシリーズを1作目とフューチャー・アンド・パストしか見ていません。

以下ネタバレ有りです

 

彼らが生きる世界は”いま”の世界だ。超人的なパワーを持つ人は差別ではなく排他される世界。そんな現実の中、ローガンは最後の戦いに切り込んでいく。劇薬を一気に注射して、身もボロボロになりながら、守るべき者を守り抜くためにその爪で引き裂いていく。

物語の中盤に、ある家族と一緒に食事をするシーンがある。そこでの会話がとても好きだ。アドリブだというそれは、今まで共に過ごしてきた思い出を振り返り、それに併せて笑顔に包まれる、とても暖かなシーンだ。こんな平穏な食事だけれど、これが、彼らが求めてきた共存の形なのかもしれないと思うと、次に起こったチャールズの死(ローガンと瓜二つの姿をしたX-24に致命傷を負わされたことを、自分がしたと勘違いして欲しくないローガンの姿がとても悲しい)も相まってとても切なくなってくる。その後、自分のクローンと戦いボロボロになったローガンは湖畔にチャールズの死体を埋める。あまりにも突然な自分の恩師との別れで悲しみに暮れるローガンの手首を、そっとローラが悲しみを共有するかのように掴むがそれを振り払ってしまう。理解できないとでもいうかのように。

それでも彼らは進んでいく。実在するかも怪しい理想郷に向けて。そして長い旅路の果てに次の世代に出会った後、ローガンはローラの元を何もなかったかのように去ろうとする。しかし、次の世代の子どもたちが彼らを殺そうとする軍団に見つかったのがわかった瞬間、ローガンは彼らの元へ向かう。劇薬を一気に注射して、まさしく捨て身で彼らを、ローラを救おうとする。自己犠牲的な戦い方はとても危険だ。だけど、彼は戦う。次へと繋ぐために戦った仲間のために。彼自身に決着をつけるために。ヒーローではなく一人の男としてその爪で切り裂いていく。

最後、自らの分身に回復不可能な状態にされたローガンに、ローラが「Daddy」と言い、彼の手を握る。その手を握り返しながら、ローガンは「こういうものか」と呟く。チャールズがローガンに与えようとした家族の愛を、子としてではなく父として、与えられる者ではなく与える者としての愛を理解する。ずっと追い求めてきたものを手にしながら、ハートを手に握りながら彼は息を引き取る。ずっと利用され、戦ってきた彼は最期に平穏を見いだしながら。その最期の姿に涙が流せずにはいられなかった。彼は救われたのだ。愛する人たちを喪い続けた彼、ウルヴァリンは、ローガンは解放されたのだ。

最期、湖畔に埋められたローガンの墓に向かって、ローラが、劇中でチャールズと共に見た西部劇「シェーン」の台詞を彼に対して掛ける。その言葉はあまりにもローガンにふさわしく、彼の人生を賞賛したものだった。そして、去り際にローラは十字架を横に倒し、「X」の形にして去る。これこそ「X-MEN」としての彼への感謝の印だろう。ヒーローの引退は悲しい者だけれど、祝福に満ちた別れで、彼へ捧げられた作品で、あまりにも素敵だ。

見終わった後、ただ、ありがとうとしか言えない。ありがとう、ローガン。