蝉のぬけがら

なんとでもなるよ

偽りなき者 

些細な嘘から人は疑心暗鬼になる。時にはその疑いを向けられている人の言い分は全く価値のないものにされる。自分はやっていない。あの子どもが嘘をついたんだ。それが真実だとしても、その叫びは聞こえないものとされてしまう。それならば、どうやったら嘘を晴らすことが出来るのだろう。そして、どうしたら自分の言いたいことを聞いてもらえるのだろう。

ある日、少女はちょっとしたきっかけで生まれた衝動で嘘をついた。それは証拠も何もないが、ひとりの男を破滅に向かわせるには十分すぎた。

「子どもは嘘をつかない」という共通観念はルーカスを苦しめる原因となる。そのどうしようもない嘘に翻弄された多くの人たちによって、言い分を聞かれないでその"事実"によって迫害されていく主人公ルーカスは、その狭いコミュニティから抜け出すことなく(抜け出すことが出来ないのだろう)、根も葉もない"真実"と戦っていくしかない。彼も、彼の息子もその"真実"に疲弊していく。大勢がそれを本当だと信じたら、少数派、まして加害者の言葉なんて1ミリたりとも聞き入れられない。明らかに彼を有罪にしたいかのように質問し、「偽りなき者」であるルーカスは自らの無実を証明するために暴力をとらず抵抗しようとするが、そんな余裕も彼に降りかかる罵詈雑言や暴力、そして彼が置かれた状況によってどんどんすり減っていく。理解してくれる人がいても、それで劣勢な状況を覆すことが出来ない。誰もが彼を変質者だと思う、そんな身体的にも精神的にも苦痛を与えられる。それに彼自身も深く傷ついていく。

何より苦しかったのが、彼の息子、そして全く関係ないものまでもがその"疑い"によって暴力を受けることだ。カエルの子はカエルじゃないけれども、そのことで自身の子どもまでもが傷つく。彼は父親がそんなことをするような人間じゃないと信じて、またわかっているからこそ直接行動に出るも、受けたのはパンチだった。そして、そんな彼らはもっとむごい現実を突きつけられる。どうして、と言うこともできない。だが、彼らにも支えてくれる人たちがいる、無条件に信じてくれる人たちの存在があると言うことが何よりもの救いだった。

彼に対する疑いが晴れたとしても、その間ルーカスの目に映った人の醜い部分、疑惑に対してそのまま疑いもせず(彼が何を言おうとも取り合わなかった)暴言や暴行をしてもいい、されてもいい人間だと決めつける残酷性、そして心に負った傷は消えることはない。普段は見えないだけで、そういった「犯罪を犯したものに対してはどんなことをしても許される」といった感覚はこの映画に映された人たち、そしてそれを見ている私たちにもあるのだ。それが有罪であろうが無罪であろうが、どれほど残酷か。そしてそれがどんなに人間らしいのか。

疑わないことの恐ろしさ。そして一度疑われた者はもうその疑いは晴れることがない。ずっと心を縛り付け、深い闇を落とすのだろう。例えそれが嘘だとしても。